0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 真の保守主義者とは、まず、いわゆる保守反動や伝統主義者や回顧主義者と区別されねばならない。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)154p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 真の保守主義者は、自分たちが「明日の人間」にはならなくても、「明後日の人間」になることを確信している。明日の人が失敗に終った後にはじめて理解される、明後日の人間であることを確信している。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)155p 15 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者は、新しきものに反対なのではない。ただ、新しきものなら何でもかまわず持ちあげる人々の、無智には加担したくないだけなのだ。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)155p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者にといえども、政治上の変革を認めるにやぶさかではない。ただ、その変革が、慎重に平静に、階段を一つ一つ登るように為されるのを望むだけなのだ。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)155p 8 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 真の保守主義者が一組織や一制度の変革に慎重であるのは、社会の中の歯車は、互いに調和を保って機能されねばならないと思っているからである。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)156p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者は、共同体のたゆみない前進のためには、優れている者と劣る者、健康と病人、積極的である者と消極的な者などを一緒にせず、分離するしかないと思っている。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)156p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 人間は、健康面でも年齢でも、また性別でも外貌でも、そして教育でも才能でも力でも勇気でも、さらに意志でも正直さでもその他あらゆる面で平等ではないと、保守主義者は信じている。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)156p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 真の保守ならば、富の少数の者への過度な集中も、多数の者の過度な貧困も、ともに社会的危険と判断するばずである。そして、富みすぎる者や貧しすぎる者を制して社会を調和に導く、広い中間層の育成と保護を重視するはずなのだ。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)157p 9 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者は、個々の人々の持つ秘かな欲望、より良い地位と環境を望む欲望を、国家の与える安易な対策よりは信頼している。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)157p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 真の保守主義者は、個人の自由が、発明や進歩や発見の素地であることを知っている。だが、また、弱者に対しては残酷な結果をもたらすこともあるのを知っている。とはいえ、この種の自由が有害なものに一変する時期を知らせてくれる、計器はどこにもない。ただただ彼らは、個人の自由を「権利」としてでなく、「義務」と考えることで、その時期を見計ろうと努めているだけなのだ。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)157p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 歴史はわれわれに、知ってさえいたならば未然に防げたにちがいない数々の前例を示してくれるのも事実なのだ。一方、「革新」は、歴史は自分たちが創ると思っているから、歴史を軽視する。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)157p 9 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者は、少数の者による支配も多数による支配も、いずれも多少の疑惑なしには眺めることができない。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)158p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 政治のプロとは、一市民の視点と統治者の視点の双方を持ち、それらをケース・バイ・ケースでバランスを保ちながら使いこなせる人をいう。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)159p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者は、概して、外国崇拝や異国趣味を排する。なぜなら、これらの傾向こそ、国民の頽廃の兆候だと思っているからだ。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)159p 7 タグ
0 コメント数 シェア 真の保守とは‥‥‥ 保守主義者も、個人の自由の尊厳が、社会生活の活力を生み出す貴重な「泉」であることを知っている。しかし、これは、個人の「権利」というよりも国家からの「払い下げ」と考えるべきだとも思っている。 塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)159p 7 タグ