ぼのぼの 117

いがらしみきおによる日本の4コマ漫画作品と、その主人公のラッコの名前。また、その4コマ漫画を原作とするテレビアニメーション、アニメーション映画。...-ウィキペディア

スナドリよ。おめえはさっぱりわかっていねえのよ。もしこの森に誰かが攻めてきたら…その時はどうする?誰かが戦わなきゃなるめえ!しかしオレは誰も戦わせたくねえんだ!戦うなんてバカヤローのやることだぜよ!だからそれをオレがやるのさ!

クズリのオヤジによる「ヒグマの大将ものまね」です。

アライグマくんもレリちゃんを好きなのかもしれない。でもボクはさっきアライグマくんがきらいになりそうだった。レリちゃんをひとり占めしたかったのだ。ボクはなんだか恋って好きじゃないなぁと思った。

ぼのぼの、おまえのオヤジはな。西の砂浜に誰も入れないようにしたのさ。しかし浜だろうがどこだろうが誰かのものにするわけにはいかねえ。たとえそれがオレの家でも、みんな自由に出入りしていいのさ。それがオレの考えだ。だからおまえのオヤジはオレと戦うことになったのさ。

うん、退屈さ。なにもないのを確認するために歩いてるようなもんなんだ。だから歩いてるとだんだん気分が落ち着いてくる。ああ、今日もなにもなかったってな。

今の世の中を見ていると苦しいことは苦しいだけ、汚いことは汚いだけ、なさけないものはなさけないだけ。なんだかとっても単純になってしまっている。

それはみんなもののあわれということを知らないからじゃないかな。

絶対変わらないこと。じゃあ、誰かがそれを守っているのかなぁ。――オリちゃん。

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その短い間にオリ族はこの世界を見て歩くんだ。この世界はどんなところか。どんな生き物がいるか。どんなことをして生きているのか。どんな楽しいことがあるのか。それを見て来るんだ。

ばか!みんなに怒られたりきらわれるのが私の生きがいだろう!おまえもきらってみろ!さあおまえもおもいっきり私をきらってみせろ!

結局メシを食うのがめんどくさいというのはいつもやってることをいつまでやらなきゃいかんのかなあという気の迷いよ。

オレにとってケンカに負けたってことは女の子がいじめられてるのを見つけて助けてやったらお礼に家に招待されてごちそうしてもらって、さあ帰ろうとした時になってシリにウンコがついてるのを見られた。そんな感じなんだぞ。

年をとるのがいやだとか若い頃はよかったとか、誰かといっしょに暮らしてるからそう思うもんよ。ひとりで生きてるとどうでもよくなるわ。年をとろうが死んでしまおうがな。

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ツボじいはな、年をとるのがいやなんだったらひとりになれと言ってたぞ。

年をとるのは平気じゃないのだ みんな静かに驚いているのだ

いたみが消えて行くことは悩みが消えて行くことに似ている

結局凡人には分からないのさ。新しい遊びが生まれるとそれをすぐ危険とかよくないとか言いやがる。

そりゃあな、自分はひとりなんだということを思い出すからさ。ともだちと楽しく遊んでても、親といっしょにめしを食ったりしてても、自分はひとりだっていうことを思い出すからさ。

たとえばさ、なんか景色を見ても前はああきれいな空だな、鳥が飛んでるなあとか思ったもんだけど、今はそんなことも思わなくなって。

なんか景色じゃなくてただの絵を見てるみたいな。なんかこんな感じ。

ヤマネコくんは怒っていたのだ ずーっとずーっと怒ってたなんて、すごくたいへんだったろう

見ようと思っても見えないのはそこに何もないからさ。匂いをかごうと思ってもかげないのはそこに匂いがないからさ。誰かにさわろうと思ってもさわれないのはそこに誰もいないからだよ。

誰かの考えをわかろうと思ってもわからないのは、そこに言葉がないからさ!

アライグマくん、コウモリってどうしてかっこいいのかなあ。

きらわれてるからさ。

オレは逃げちゃいねえよ!『ひい~』と言いながら走ってただけだろ!

どんな理由でも必ず消えるもんさ。理由が消えたんならおまえはもういつでも戻ってこれるはず。さあ、この森に戻ってこい。

今まであんなに確かだったいろんな理由がどんどん消えてしまうのさ。オレがひとりで山で暮らしている理由も、スナドリネコとのいがみ合いも、オレが大将とか呼ばれる理由も、なんだかどんどん消えて行くんだ。そしたらおめえとボーのことを思い出してな。

お互いきらいというのは、片方だけきらいよりいいのだ

ぼのぼのちゃん。大人になるとともだちはいなくなるのよ。大人になると『ともだち』じゃなくて『友人』になるのよ。『友人』だから『ともだちの人』ということよ。だから『ともだち』とはちがうのよ。