かもめのジョナサン 13

生 1970年
リチャード・バックによる小説。寓話的作品。 1970年にアメリカで出版され、最初は当時のアメリカのヒッピー文化とあいまって口コミで徐々に広がり、1972年6月以降に大ヒットし、同年後半にThe New York Times Best Seller listの1位となり、38週もの間 1位を保ちつづけた。1972年と1973年のPublishers...-ウィキペディア

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群れの中の平凡な一羽になろうと決心してしまうと
とてもくつろいだ気分になってきた。
もうこれからは自分を飛行練習に駆り立てた、あの盲目的な衝動から解放され
二度と限界に挑戦することも、失敗することもないだろう。

馬鹿なことは忘れるがいい。
群れの仲間のところへ飛んで帰って、あるがままの自分に満足しなくちゃならん。

    何もかも安定してしまったら、また、挑戦したくなってくるんじゃない?君ならば。 - 銘無き石碑

    ベンチャー企業の社長のように、激務の中で休暇を作って寛いだり、激務に耐え続けたりといった器用な選択ができないんだろうか。ONとOFFの使い分けが凡人だからできないのかも。 - 銘無き石碑

    飛行訓練に駆り立てる盲目的な衝動のせいで寛げないとしたら、君は凡人かもしれない。向上心を持ち続けて自己研鑽を積み、寛ぐ時間も作ることが大切だ。寛ぐ時間を設けないと、自己研鑽を継続できないからだ。こういう柔軟な発想ができない者を凡人と世間は呼ぶのかなあ。 - 銘無き石碑

    結局は、凡人は凡人として生きるしか選択肢がないのだろう。賢人と交流を楽しみ、賢人として生きることは叶わないのだろう。階級の断絶の溝は深い。 - 銘無き石碑

わたしたちはここで学んでいることを通じて、つぎの新しい世界を選びとるのだ。
もしここで何も学びとることがなかったなら、次の世界もここと同じことになる。


    ここで何も学ぶことがなかったら、新しい世界に学ぶことがあるのだ - 銘無き石碑

    一見、正しそうで正しくない。何も学ぶべきことがない集団で構成された世界はたくさんあるから。物事の本質が見えていない。 - 銘無き石碑

    正しい本質である。学び“とる”とは、その場所で学ぶことをあえて探すこと。営みに沈んだ自分にとっての人生の価値を学びとり、何も学ぶべきものはないと捉え、慢心に満ちて自己成長を目的としない日々を過ごすなという教訓。 - 銘無き石碑

ぼくは自分が空でやれる事はなにか、
やれない事はなにかってことを知りたいだけなんだ。

すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。
だが、この風変わりなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、
食べることよりも飛ぶことそれ自体だったのだ。

彼にとってスピードは力だった。
スピードは歓びだった。
そしてそれは純粋な美ですらあったのだ。

天国とは、場所ではない。時間でもない。
天国とはすなわち、完全なる境地のことなのだから

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ジョナサンよ
もっと他人を愛することを学ぶことだ。

われわれ一羽一羽が、まさしく偉大なカモメの思想であり、
自由という無限の思想なのだ

われわれは自由なんだ。
好きなところへ行き、ありのままの自分でいていいのさ

きみは、たったいま、この場で、真の自分に立ちかえる自由を得たのだ、
本来のきみらしく振る舞える自由を。

正しい掟というのは、自由へ導いてくれるものだけなのだ

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きみはみずからをきたえ、そしてカモメの本来の姿、
つまりそれぞれの中にある良いものを発見するようにつとめなくちゃならん。

目に見えるものには、みんな限りがある。
きみの心の目で見るのだ。