三浦知良 29

生 1967年2月26日
静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手。横浜FCに所属。2017年1月現在、プロフェッショナルリーグでプレーする世界最年長のプロサッカー選手である。妻は、三浦りさ子。 ニックネームは“カズ”、または“キング・カズ”である。 ブラジル時代のポジションは左ウイングであったが、日本帰国後はセンターフォワードとしてJリーグで活躍し、日本代表としてもFIFAワールドカップ初出場に貢献した...-ウィキペディア

行ったほうがいいと思う。行くといろんなことがわかるから。
日本の良いところも悪いところも、自分の良さも悪いところも。

成功なんて、いつまでもぶらさがっていられるほど甘くないと思っている。

プライドは捨ててない。
188分のためにやってることは、2000分出た時と変わらない

2011年1月26日 テレビ朝日「報道ステーション」

今でも国歌の練習、一人でしちゃったりしますからね。
トイレで歌ってたりしますから。

2011年1月26日 テレビ朝日「報道ステーション」

不用意にキッチンに入らないようにするよ。
俺もフィールドの中に他の人が入ってくるのがあまり好きじゃないから

横浜FC三浦知良選手 専属調理師:石川勝則
インタビューより
http://www.mpgfootball.com/interview/18

見えないところに(おはぎを)置いてくれ

横浜FC三浦知良選手 専属調理師:石川勝則
インタビューより
http://www.mpgfootball.com/interview/18
見ると食べたくなってしまうからだと思われる。
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次は2010年目指して頑張ります

2006年ドイツW杯のメンバー発表後

ジーコ、一度でいいから(代表に)呼んでくれねぇかな

2005年12月放送のテレビ番組にて
カズが言うと本気でタメ口っぽい

日本も世界なんですよ

記者の「日本は世界を相手に戦えますか?」
との質問に対して

勝ち負けに関係なくボールと仲良くなれ

横浜市内の小学校で訪問授業を行った時に
小学生に語った言葉

10年後か、まだまだ現役をやっていたいね

KAZUが26歳頃に記者から
「10年後はどうしたいですか」と聞かれた時の返答
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これで皆、オレが引退すると思っているのかな?
サッカーは世界中でやっているんだぜ

神戸在籍時の2005年7月に5戦続けてベンチを外れた時に

日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こう(フランス)に置いてきた

1998年6月フランスW杯メンバーから漏れての会見で

ドイツでお会いしましょう

2006年ドイツW杯への出場が決まった時に

大好きな神戸、ありがとう!!

神戸退団の際

成功した時にスポーツ紙の一面になるのは普通の選手。
失敗した時にスポーツ紙の一面になる選手は限られている。
一面で失敗を取り上げられ叩かれることに誇りを持てばいい

1998年柔道の田村亮子選手が、
イチロー選手との対談で
「KAZUさんに言われたこの話を思い出すと
心強くなる」と語った

悲しみはいつか癒えていくのかもしれない。
でも、傷って消えることは無いんです

1997年フランスW杯アジア地区最終予選開始前、
「ドーハの悲劇について今どう思いますか?」と質問され

魂込めました、足に

1993年アメリカW杯アジア地区最終予選
VS韓国でゴールを決めて

日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました

1990年読売サッカークラブと契約し帰国した時の会見

みんなの気持ちが一つになったゴールだったと思う

2011.03.29(Tue)長居スタジアムで行われた
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ
がんばろうニッポン!後のインタビューより
後半37分に決めたゴールについて答えた名言
対戦相手もスタンドも日本全体が一つになった

ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい

高1/1982年地元静岡の新聞インタビューに答えて

試合に出たい意欲、練習をしたい意欲、サッカーをしたい意欲。
それがすべて、10代のころと変わっていないんですよね。

勝利を目指すのなら、遠慮はするな。

何か一つというと、とても難しいのですけど、僕が思うのは、やはり
どんな状況になっても全力を出し切る、出せる人じゃないかなという
ふうに思います。

プロフェッショナル 仕事の流儀「キング・カズ 走り続ける理由がある」(NHK,2010)エンディング

真剣にやんないと 面白くないね

プロフェッショナル 仕事の流儀「キング・カズ 走り続ける理由がある」(NHK,2010)1:42