0 コメント数 シェア 偉人が化石になり、人々が彼を偉人だと称讃するときになると、彼は傀儡になっているのだ。ある種の人々が、偉人だとか小人物だとかいうのは、自己のために利用できる効果の濃淡について言っているのだ 「草蓋集続編ー花なきバラ」より 11 タグ
0 コメント数 シェア 「個人的自負」とは独特ということであり、俗衆への宣戦である「集団自負」と「愛国的自負」は、仲間と組んで自分達と違うものをやっつけることが、少数の天才に対する宣戦である 「随感論」より 13 タグ
1 コメント数 シェア いわゆる思い出というものは、人を悦ばすこともできるが、時にやはり人を淋しがらせるものだ。精神の糸を過ぎ去った寂寞の日々に繋げておいたとして、いったい何の意味があるだろう。逆に、それらをすべて忘れ去れないことが辛いのだ。 『吶喊』自序 10 タグ MEMORIESですね。 いや、そのネタですか。 - DQN伝 2011-01-26 03:17:25 UTC
1 コメント数 シェア 一般に愚弱な国民は、たとえ体が如何に健康でたくましくとも、まったく無意味な見せしめの材料と観客になるのみだ。 『吶喊』自序より 13 タグ チュウ王 - 銘無き石碑 2011-01-25 16:49:52 UTC
0 コメント数 シェア 自分で盗賊だと名乗るものは、用心する必要がない。裏をかえせば善人だから。自分で正人君子だと名乗るものは、用心しなければならぬ。裏をかえせば盗賊だから。 『魯迅評論集』(竹内好編訳・岩波文庫版101頁)
0 コメント数 シェア 予言者、すなわち先覚者は、つねに故国に容れられず、また同時代人からも迫害を受ける。大人物もつねにそうだ。かれが人々から尊敬され、礼賛されるときは、かならず死んでいるか、沈黙しているか、それとも眼前にいないかである。 『魯迅評論集』(竹内好編訳・岩波文庫版21頁)
0 コメント数 シェア 人々が寂寥を感じたとき、創作がうまれる。空漠を感じては創作はうまれない。愛するものがもう何もないからだ。所詮、創作は愛にもとづく。 『魯迅評論集』(竹内好編訳・岩波文庫版102頁)
0 コメント数 シェア 奴隷が主人になると、「旦那様」という呼び方を決して廃止しません。いばり方はたぶん主人よりももっと完璧で、もっと滑稽でありましょう。 『魯迅評論集』(竹内好編訳・岩波文庫版208頁)