0 コメント数 シェア 善とは自己の発展完成であるということができる。即ち我々の精神が種々の能力を発展し円満なる発達を遂げるのが最上の善である。竹は竹、松は松と各自その天賦を充分に発揮するように、人間が人間の天性自然を発揮するのが人間の善である。 出典:善の研究
0 コメント数 シェア 罪を知らざる者は真に神の愛を知ることはできない。不満なく苦悩なき者は深き精神的趣味を解することはできぬ。罪悪、不満、苦悩は我々人間が精神的向上の要件である、されば真の宗教家はこれらの者において神の矛盾を見ずしてかえって深き神の恩寵を感ずるのである。 出典:善の研究
0 コメント数 シェア 自己を維持発展することが我々の精神的生命である。この統一の進行する間は我々は生きているのであるが、もしこの統一が破れたときには、たとい肉体において生きているにもせよ、精神においては死せるも同然となるのである。 出典:善の研究 1 タグ
0 コメント数 シェア 肉体的生活の意義は精神生活にあるのである、肉体的生活は精神生活の手段に過ぎない、物質的生活に偏する文化の発展は決して真の人生の目的ではないのである。 出典:西田幾多郎哲学論集 Ⅰ(岩波文庫)「種々の世界」
0 コメント数 シェア 真に与えられたもの、真の現実は見出されるものでなければならない。何処に現実の矛盾があるかを知る時、真に我々に対して与えられたものを知るのである。 出典:西田幾多郎哲学論集Ⅲ 「絶対矛盾的自己同一」
0 コメント数 シェア 動かすべからざる真理は、常に我々の主観的自己を没し客観的となるに由って得らるるのである。これを要するに我々の知識が深遠となるというはすなわち客観的自然に合するの意である。 出典:【善の研究】 第二編第九章「精神」
0 コメント数 シェア 一社会の中にいる個人が各充分に活動してその天分を発揮してこそ、始めて社会が進歩するのである。個人を無視した社会は決して健全なる社会といわれぬ。 出典:善の研究 第三編第十二章 「善行為の目的(善の内容)」
0 コメント数 シェア 王陽明が知行同一を主張したように真実の知識は必ず意志の実行を伴わなければならぬ。自分はかく思惟するが、かくは欲せぬというのは未だ真に知らないのである。 出典: 【善の研究】 第三編 第一章 「行為 上」
0 コメント数 シェア 叡智的性格は感覚の外にあってこれを統一するのではなく、感覚の内になければならぬ、感覚の奥に閃くものでなければならぬ、然らざれば考えられた人格に過ぎない、それは感ずる理性でなければならぬ。 出典:西田幾多郎哲学論集Ⅰ 「場所」
0 コメント数 シェア 自己が自己の底に自己を超越するということは、自己が自由となることである、自由意志となることである、自由意志とは客観的なるものを自己の中に包むことである。 出典:西田幾多郎哲学論集Ⅰ 「叡智的世界」