アンネ・フランク 54

1929年6月12日 - 1945年3月
『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。 ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した...-ウィキペディア

・・・・・ひとと話したい、自由になりたい、お友達がほしい、
ひとりになりたい。
そしてなによりも……思いきり泣きたい!

1944年2月12日

親愛なるキティーへ
やっとほんとうに希望が湧いてきました。
ついにすべてが好調に転じたという感じ。
ええ、そう、ほんとに好調なんです!すばらしいニュース!
ヒトラー暗殺が計画されました。

1944年7月21日

ユダヤ人はつねに選ばれる民だったし、
これからもずっとそうだろう

ペーター

わたしはね、いつもこう思ってるわ
一度でいいから“いい意味で“選ばれるといいんだけど、って

1944年2月16日
(ユダヤ人)

いまや世の中の秩序は逆転してしまいました。
もっとも尊敬されるべき人たちが、強制収容所や監獄
寂しい独房にほうりこまれ、残った人間のくずどもが、
老若、貧富を問わず、国民全体を支配しています。

1944年5月25日

私は23歳のとき、はじめて『アンネの日記』を読み、1944年5月3日の日記にひどくショックを受けました。
破壊のための戦争に莫大なお金を使いながら、
医療施設や貧しい人たちにお金が使われていない矛盾をきびしく追及しています。

黒川万千代
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なぜだろう。いつの日か、アンネを育てたオランダを見てみたい

黒川万千代

ここではみんな、すっかり笑うことを忘れてしまいました。
おかげで、ちゃんとした笑いかたさえ、もうできなくなっている始末です

1944年2月8日

    I love Anne frank she has been my hero for a long time!!!!! - You tubeコメント

多くの時代を超えて、ユダヤ人は生きのびてきました。
そのあいだずっと苦しんでこなくてはなりませんでしたが、
同時にそれによって強くなることも覚えました。
弱いものは狙われます。
けれども強いものは生き残り、けっして負けることはないのです!

1944年4月11日

つまりペーターって、ひどい劣等感の持ち主なんです。
たとえば、自分はとても頭が悪く、ほかのみんなはとても頭がいい、なんていつも
思ってますし、フランス語を教えてあげると、それこそ何百ぺんでもくどくどお礼を言います。

1944年2月16日

とっても、かわいかったわ。
かわいすぎた。
私もいつか、こんなかわいい子どもを持ちたいと思いました。

アンネについて
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黒くて、大きくて、好奇心いっぱいの目をしていました

アンネについて

屋根裏部屋の窓からペーターと一緒に眺めた、
外の世界の美しさと、彼が髪を撫でてくれた喜びを、
ここでも思い出していただろうか。

アウシュビッツ

死の直前、アンネはチフスによる幻覚から、衣服に小動物がくっついて恐ろしいと、
着ているものを全部はぎとり、毛布一枚にくるまっていたという。

せめて書く自由だけでも許されていたら、もっと強く希望を持ち、
もしかしたら生き延びられたかもしれないのに。

小川洋子

けれど、そうであったとしても、彼女が熱に浮かれたように、純真に、
人を好きになれたのは、よかったと思う。
「恋ができてよかったね」と、
声を掛けてあげたい気がする。

アンネとペーターについて

アンネはリアルタイムで日記を書き進めるのと同時に、
戦後の出版を夢見て、最初からの日記を書き直していた。

日記の偽物説については、なお根強く残る反ユダヤ主義のなかでたびたび噴出し、
オットー自身面倒な裁判に巻き込まれていた。

でもここでは、ときとして感傷的にならずにはいられないこともあるんです。
たとえば、ペーターとふたり、ごみやおがくずの山にかこまれて、かたい木の梱包ケースに
腰をおろし、おたがい肩に腕をまわして、ぴったり寄り添いながら、彼がもう片方の手で
わたしの巻き毛をもてあそぶようなとき。

1944年4月14日

彼はわたしのことを”ぼくの黄金郷”と呼んで
キスしたがりました。
人間をそんなふうに呼ぶなんて、ばかみたい!
でもやっぱり、かわいいところもあります。

1944年4月25日

澄みきった良心はひとを強くする

ほんとうにこんなにもたやすく感情に溺れてしまっていいのでしょうか。
こんなにも夢中になって、まるでペーターと競い合うようにいちずに
のぼせあがってしまって、これでかまわないのでしょうか。

1944年4月28日

ここでキティーに約束しましょう
どんなことがあっても、前向きに生きてみせると。
涙をのんで、困難のなかに
道を見いだしてみせると。

わたしはほかにお手本もなく、
有益な助言も得られないまま、
ただ自分の努力だけで、
りっぱな人間にならなくてはなりません。
そうすれば、将来はもっと強くなれるでしょう。

いまのわたしは、ひとりぼっちではありません。
愛してくれる彼がいます。
わたしも彼を愛していますし、
そのほかにも、本や、自作のお話や、
この日記帳があります。

1944年5月7日