文政6年、75歳の大田南畝は江戸城への登城の道での転倒、負傷し体調が悪化、死去した。

今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん

辞世の狂歌
大田南畝

大田南畝 1

1749年4月19日 - 1823年5月16日
天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った...-ウィキペディア


寄せられたコメント(1)


    君と話すこともないし、連絡するのが億劫になってきたかな。 - 銘無き石碑

コメント戴ける場合はこちらから