枝雀の顔を見ただけであー、おもろかったと満足していただけるような芸人になりたい。

枝雀も又、後の所謂お笑いという芸能の究極体を仮定した人物の一人である。
小米時代、師は笑いの分類時に笑いという感情の程度には大きく分けて三段階あると分類をした。
俗的とでも言うか、普通の「笑い」の状態を「緊張の緩和による笑い」、その土台にある一つ程度の大きい状態を「喜びの笑い」また土台にあるのが「悟りの笑い」となっている。
一生、又は生を変えても笑いの感情が継続し続ける状態となる「悟りの笑い」の境地、これを枝雀は誰よりも自分に求めた。何も喋らないでも、お客さんが笑ってくれる、その高座をきっと作ってくれる、それ程の鬼才であった。第二の枝雀が現れた時、それはいつの日か?
現在でいうと柳家小三治が似たようなことをやっていることもある。それ以外にも枝雀の系譜を継いで行く者はお笑い界に多くいる。その者がそれぞれ、答えを導き出してくれるに違いない。
NEVERまとめはtatakauhito兄より、名言を拝借させていただきました。誠に有難いです。
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日本 (2122) 落語家 (29)

桂枝雀 名言数 11

1939年8月13日 - 1999年4月19日
桂 枝雀(かつら しじゃく)は上方落語の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。 なお、以下の各代以外にも、昭和10年代の寄席ビラに枝雀の名が確認できる。色物だったとされているが詳細は不明。 本項を参照。 3代目桂米朝門下。前名は10代目桂小米。本名: 前田達。59歳没。...-ウィキペディア

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