ひとが普通に讀むやうな本だけを讀んでいるのでは新しい考へを得ることは困難であらう。我々は讀書において發見的でなければならない。讀書の樂しさは發見的であることによつて高められるのである。發見は一種の邂逅である。ただ求める者のみが發見し得る。他から教へられた書物にのみ頼ることなく自分自身で、自分に適し、自分に役に立つ本を發見することに努めなければならない。 出典:『読書論』(三木清全集第14巻「教養と文化(二)」) 三木清 読書 (43) 三木清 62 1897年1月5日 - 1945年9月26日(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。...-ウィキペディア