財界のトップが、創造性の欠如について不満を述べるのはよいが、
日本の学校が今日のようになった責任のかなりの部分は、彼らがとるべきだろう。
1960年代初めに、経済団体の代表(経済審議会)が
経済発展に最適な状況をつくるため、
国の教育制度を一部手直し、
学校を「高質の労働者を養成する訓練所」にする必要性を
「経済発展における人的能力開発の課題と対策」として提言している。
やがてこれらは、政府の中央教育審議会の基本答申に組み込まれた。
答申にもられた提案はその後、各種の委員会の具体的計画に盛り込まれ、
70年代に文部省が改定したカリキュラムに徐々に反映されていった。
このようなカリキュラム改定の結果、
教師の推定を総合した統計によれば、
小学校児童の三割、中学生の五割、高校生の七割が授業について行けなくなっている。
学校では理解の遅い子供のために授業のペースを落とすことはできない。
全体のカリキュラム構成も、進度も、文部省によって決められているからである。
産業界の提言にもとづいて立案された教育計画の一環として、
教育当局は、どの上級学校へ進学させるかの進路指導にあたって、
すべての生徒を成績によって五段階に分けた。
80年代になると、偏差値の子供への圧力はさらに増大した。
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