1985年の夏、当時の中曾根首相によって設置された、
教育学者、学識経験者、財界人が構成する臨時教育審議会は、
教育制度全体への批判以外のなにものでもない第一次答申を発表した。
報告書によると、日本の教育が作ってきたのは、
明確な個性を持たず、まともに考えることもできず、
自分で判断もできないといった特徴をもった、
型に嵌まった人間であった。
とはいえ、報告書に盛られた対策は、
文部省代表と自民党内の教育改革派など、
あまりリベラルでない審議会メンバーの意見を色濃く反映していた。
1986年および87年に発表された第二、第三の臨教審答申は一段と逆行が進み、
個性的な考えの人間を教育する必要性を無視する後退した印象になっている。
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