近頃は戦さの噂さえ頻りである。睚眦(がいさい)の恨は人を欺く笑の衣に包めども、解けがたき胸の乱れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃の冴は、人を屠る遺恨の刃を磨くのである。君のため国のためなる美しき名を籍(か)りて、毫釐(ごうり)の争に千里の恨を報ぜんとする心からであ
る。正義といい人道というは朝嵐に翻がえす旗にのみ染め出すべき文字で、繰り出す槍の穂先には瞋恚(しんい)の焔(ほむら)が焼け付いている。狼は如何にして鴉と戦うべき口実を得たか知らぬ。鴉は何を叫んで狼を誣(し)ゆるつもりか分からぬ。
引用『倫敦塔・幻影の盾』
(岩波文庫版50~51頁1999年刊行)