二度芥川賞の候補に挙げられたが、いずれも議論の対象にならぬまま、
まるっきりの論外作として真っ先に片付けられていたようである。
で、二回目の落選時には、今後私がこの賞にノミネートされることはないものと思った。
このときの落選理由が「前作と全く同じ」というものであっては、
もはやどうにもなるものではない。
私の書く小説は、いわゆる“私小説”である。
主人公はどこまでも自らの分身である以上、
かの選考委員の小説みたく一作ごとにメイン人物の性別や生い立ち、
基本的な思考回路を都合に合わせて取っかえ引っかえなぞできぬ、
ある種、窮屈な制約を伴う種類のものである。
だから一面では、これらが同じに見えるのも無理はない。
しかし似たような内容の作品が再度俎上に並べられるわけがないのだから、
これはやはり一部選考委員の審査眼以前の、
ごく初歩的な読解力を疑わざるを得ないし、
彼らが選考をつとめる限りは当方の受賞はないのだから、
自然、候補者リストからも抹消されたものと思っていた。
それだけにこのたびの流れは、私にとってひどく意外なものであった。
が、仄聞したところによると、
私の作品が選ばれたのは
必ずしも前二作に比して進歩を認められてのことではないらしい。
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