戦局最後ノ関頭ニ直面セリ
兵団ハ本十七日夜総攻撃ヲ決行シ敵ヲ激摧セントス
各部隊ハ本夜正子ヲ期シ各當面ノ敵ヲ攻撃 最後ノ一兵トナルモ飽ク迄決死敢闘スベシ 大君顧ミルヲ許サズ
予ハ常ニ諸子ノ先頭ニアリ

指揮部隊へ最後の指令。
栗林忠道

栗林忠道 7

1891年7月7日 - 1945年3月26日
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡西条村(現:長野市松代町)出身。 第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)末期の硫黄島の戦いにおける、日本軍守備隊の最高指揮官(小笠原兵団長。小笠原方面陸海軍最高指揮官)として知られる。...-ウィキペディア


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