マザー・テレサ 120

1910年8月26日 - 1997年9月5日
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ (Agnesa/Antigona Gongea Boiagi...-ウィキペディア

この世では、大きいことはできません。
小さなことを、大きな愛でするだけです。

100人に食べ物を与えることができなくても、
一人なら出来るでしょ?

あなたたちは、受け取る一人ひとりに
ほほえみかけたでしょうね。
ちょっと手に触れて、
ぬくもりを伝えましたか。

空腹の人たちへの炊き出し

愛は、キリストご自身がご自分の死で示してくださったように、
この世で最も偉大な贈り物なのです。

いずれかにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
愛が原因で間違った方がいいと思っています。

共に祈っている家族は崩壊することがありません。

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平和は ほほえみから始まります。

自分が犠牲になり、自分が傷つくまで人を愛することを恐れてはなりません。
イエスさまの私たちへの愛は、彼を死まで追いやったではありませんか。

愛は、それぞれの季節が実らせる果実といえます。

私たちは、修道会の名前からいっても、
愛のメッセンジャーなのではありませんか?

私たちの言葉などはどうでもいいのです。
大切なのは、私たちを通して神が魂に語りかけられることだけなのです。

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死は、悲しいことではありません。
私たちが悲しむべき唯一のことは、
自分が聖なる者になっていないという事実だけです。

祈るためにまず必要なのは、沈黙です。
祈る人とは、沈黙の人といってよいでしょう。

戦争は人々を殺します。
それを正しいことと考えている人がいるでしょうか。

どこの家族の中にも、
どの人間の集まりの中にも、
誰か苦しんでいる人がいます。

物質的な必要については、
私たちは全面的に神の摂理に信頼しています。

もしも月の世界に貧しい人々がいるとしたら、
私たちは、そこへも行きます。

救われるためにどうしたらよいでしょうと尋ねる人があったら、
私の答えは「神さまを愛することです。そして、何よりもまず祈ること」。

イエスが私たちにしてくださったと同様に、私たちは、
貧しい人々と分かち合っているでしょうか。

私たちの食物、衣服、何もかも貧しい人々と同じようでなくてはなりません。
なぜなら、貧しい人々はキリストご自身なのですから。

神は許しを惜しまない御父です。
神の憐れみは、私たちの罪よりも大きいのです。

お互いにイエスに近づいて、謙遜に、しかも明るく生きることを学びましょう。

私たちは雲の上と言いましょうか、
非現実の世界に住んでいてはなりません。

富める国で中絶を合法化するところがあれば、
その国は間違いなく、
世界中で最も貧困な国です。

謙遜の徳のみが私たちに一致をもたらし、
一致のみが平和をもたらすのです。