アントニオ猪木 29

生 1943年2月20日
日本の元プロレスラー、実業家、政治家。日本を元気にする会所属の参議院議員(2期)、日本を元気にする会代表。本名:旧リングネーム:猪木 寛至(いのき かんじ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」(当初は「燃ゆる闘魂」)。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは...-ウィキペディア

人は歩みを止めた時に、そして、挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います。


    素晴らしい人 - 銘無き石碑

    素晴らしい - 銘無き石碑

    何度も何度も諦めかけてしまいます...... - 有田みかん

    もう諦めません。自分に正直に生きていれば、挑戦の連続になってました。 - 銘無き石碑

プロレスに市民権を

AERA Mook 24『コミック学のみかた。』(朝日新聞社,1997)P174

子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て。

こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない。ただ、それがファンに対してのわれわれの義務ですから。

1974年3月19日、対ストロング小林戦の試合後のコメント。