天気晴朗なれども波高し

日本海海戦の時の連合艦隊の旗艦、三笠から東京にある司令部宛に出した電報の一文。
秋山真之

秋山真之 3

大日本帝国海軍(明治期)の海軍中将。 幼名は淳五郎。 明治元年(1868)秋山好古の弟として松山市に生まれた。 妻はすゑ。子は4男2女。前・衆議院議員大石尚子は真之の孫。正岡子規とは小学校からの親友。 明治23年、海軍兵学校を首席で卒業、日露戦争では名参謀として日本を勝利に導いたことが有名。 明治28年、兵学校時代の友人山路一善、勝田主計らと郷土青少年の錬成道場として松山同郷会を創り、現在財団法人常磐同郷会として いまに引き継がれている。 大正7年51歳で没した。東京青山墓地に眠る。


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