健全な胃をもつている者が胃の存在を感じないやうに、幸福である者は幸福について考へないといはれるであらう。しかしながら今日の人間は果して幸福であるために幸福について考へないのであるか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考へる気力をさへ失はせてしまつたほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのやうに感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。 出典:『人生論ノート』 三木清 三木清 62 1897年1月5日 - 1945年9月26日(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。...-ウィキペディア