習慣を自由になし得る者は人生において多くのことを為し得る。習慣は技術的なものである故に自由にすることができる。もとよりたいていの習慣は無意識的な技術であるが、これを意識的に技術的に自由にするところに道徳がある。修養といふものはかやうな技術である。

出典:「人生論ノート」
三木清

三木清 62

1897年1月5日 - 1945年9月26日
(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。...-ウィキペディア


寄せられたコメント(0)

コメントはまだありません...

コメント戴ける場合はこちらから