私のしたことは、外交官として間違ったことだったかもしれない。
しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。
大したことをしたわけではない。
当然のことをしただけです。
ナチスドイツのユダヤ人虐殺から逃げてきたユダヤ人達に対して、ビザを発行した。
「六千人の命のビザ」より
「六千人の命のビザ」より
杉原千畝
杉原千畝 1
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官。 第二次世界大戦の際、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓命に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くは、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」 などと呼ばれることがある。