少し乱暴な利根川先生の主張ではありますが、しかしこれは真理なのです。 努力の過程が評価されると言うことも事実ですが、勝利が無ければ物事が成り立たないと言うことも事実なのです。 簡単に言えば、努力したが仕事が見つからなかった。 この努力の過程を評価できますか。 また、数百億円を掛けた宇宙開発で目標とした惑星の情報を得られなかった。 もう一度やればいいというのとは、別次元の話なのです。 勝利を得られなかったというのは事実なのですから。 勝利には精神力が必要なのです。 ですから勝利者は、賞賛に値するのです。 日本人には、勝利という感覚が欧米人に比べて希薄なところがあります。 欧米人は、勝利に対する執着心が極めて強いと言えます。 それは、家族を養うことであり、種の保存であり、民族の勝利でもあるからです。 人間は戦うのです、自分自身に対しても、敵に対しても勝利を求めて戦うのです。 戦う以上は、勝利を目的にしたのですから勝利を得られなければなりません。 敗北はすなわち死を意味しています。 だれも死を望んで戦う人はいないのです。 勝利のために戦うのです。 では、なぜそれが正しいとされるのでしょうか。 それは、自らを克己すると言うことが基本だからです。 自分自身に負けては、自分自身が成り立たないのです。 最近小学校では運動会で順番を付けないということをやっているということを良く耳にします。 これは一体なんでしょうか。 小学校では順番を付けなくても、社会に出れば望まなくても順番は付けらるのです。 正しいか正しくないかとは別次元の問題です。 なにがしかの評価が社会には必要だからです。 問題なのは、勝利者がおごり高ぶり、不当に賞賛されることもあるということです。 敗者に対しては、十分な敬意が表されないということにあります。 日本人は人を甘やかすことは出来ても、愛することが出来ないとうことの典型的な問題がこれです。 敗者に対しても偽りのない愛を表せばそれでよいのです。 勝利者に対しては十分な賛辞を送るが、敗者に対しても賞賛の言葉があればそれでよいのです。 敗者は、それで納得しなければならないのです。 敗者は、勝利を恐れるということも事実なのですから、それも克服しなければなりません。 ですが、勝利は重要なのです。 目的は成し遂げられなければならないのですから。 日本人には少し難しい概念かも知れませんが、神は勝利の神なのです。 敗北する神様は、神様ではないのです。 ここでは、これ以上の宗教的なことは説明できませんが、これは傲慢さとは別のことです。 全ての者が勝利するわけではないことは分かっていますが、神は勝利の神なのです。 この神様という方の概念もまた、欧米人と日本人では極端な差があって説明が困難です。 真に完成された人というのは、柔和で謙遜で穏やかで近づきやすく、話しやすい愛に満ちている人であるというのが西洋の神様の概念です。 この概念のない日本人にとっては、神様の勝利というのは過酷なもの、理不尽なものと解釈されかねません。 真の勝利者は、最も近づきやすい、話やすい親しみのある人ということになるかと思います。 おわかり頂けるでしょうか。 神概念と単なる勝利とがごっちゃになっちゃいました。 これにて失礼します。 - トト 2010年07月04日 00時36分