人物一覧

フランチェスコ・グイチャルディーニ 名言数 18

1483年3月6日 - 1540年5月22日
フランチェスコ・グイチャルディーニ (Francesco Guicciardini, 1483年3月6日 - 1540年5月22日)はルネサンス時代のイタリアのフィレンツェ共和国の歴史家、政治家。...-ウィキペディア

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神に祈りたまえ、どんな場合でもきみが、敗者の側にいないですむように、と。
なぜなら、きみになんの責任がなくても、
敗北の嫌疑の幾分かにしても、きみは逃れることは不可能になる。
それが反対に、きみが勝者の側にあれば、
きみに功績などなくても、賞讃が与えられるものなのだ。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)139p

世の中のことがらが、絶対的で不変なものだとする考えは、大変にまちがっている。
なぜなら、すべてのことがらは、
簡単に見きわめられることと見きわめられない多くのことの集合体であって、
それらすべてを律しきる法則は存在しないからである。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)139p

国家防衛の大任を負う者は、
長く防衛できることを、第一の目標としなければいけない。なぜなら、
時間を維持することは生命を与えられるに等しい、
ということわざにあるとおり、陥落が先にのびればのびるほど、
はじめの頃では希望も持てなければ思いつきもしなかったような好都合な事態に、
恵まれてくるものだからである。

塩野七生『サイレント・マイノリティ』(新潮社,1993)139p
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大田南畝 名言数 1

1749年4月19日 - 1823年5月16日
天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った...-ウィキペディア

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文政6年、75歳の大田南畝は江戸城への登城の道での転倒、負傷し体調が悪化、死去した。

今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん

辞世の狂歌
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島津斉彬 名言数 1

1809年4月28日 - 1858年8月24日
江戸時代の鹿児島藩主

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勇断なき人は事を為すこと能はず

「斉彬公言行録」より

ジョン・スチュアート・ミル 名言数 9

1806年5月20日 - 1873年5月8日
イギリスの哲学者である。政治哲学者、経済思想家でもあり、政治哲学においては自由主義・リバタリアニズムのみならず社会民主主義の思潮にも多大な影響を与えた。晩年は自ら社会主義者を名乗っている。倫理学においてはベンサムの唱えた功利主義の擁護者として知られる他、論理学分野においてはバートランド・ラッセルら後続の分析哲学にも強い影響を与え...-ウィキペディア

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物事について自分の側しか知らない人は、
そのことについてほとんど知らない。

幸福を得る唯一の道は、幸福ということを忘れ、
それ以外の目的を人生の目的とするにある

「自叙伝」より

自己教育の真の方法は、すべてのことを疑ってみることである。

「自叙伝」より

神に言っとけ。
「ほっとけ」てな。

復讐・・・、戦・・・、理由は何でもよかったのかもしれない。ただひとつ確かなものは、俺の中にある何かドス黒いもの・・・、ただそれだけが、俺の足を支えている。前へ進めと、せき立てられる

逃げ出した先に楽園なんてありゃしねえのさ
辿り着いた先、そこにあるのはやっぱり戦場だけだ
帰れ、ここはオレの戦場だ。 行け、お前はお前の戦場に・・・

ベルセルク 単行本16巻 断罪編 ロストチルドレンの章 「青空の妖精」より抜粋
人智の及ばぬ、人間としての自分が決して打ち勝つことの出来ない存在に
たった一人抗う存在であるガッツ。常に激しい憎悪に身を焦がし、
”ソレ”と同質に近づくことを戦いの糧とする。
決して自分には敵わぬ存在に立ち向かうこと、自分が憎悪に染まりきってしまうことへの葛藤、
それらはある意味で自分自身との戦いでもある。
そんな戦いを続けてきたガッツが劣悪な家庭環境、現実に絶望した少女に語りかけた、
唯一の心からの言葉である。
戦うことを決してやめてはいけない、と奮い立つ名言である。