大東亜戦争

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広森達郎 名言数 1

旧陸軍兵士 昭和20年3月沖縄にて特攻戦死。

沖縄での地上戦開始前に行なわれた、陸軍武剋飛行隊(広森達郎中尉以下9名)の特攻です。結構有名でご存知の方もいると思います。が、この意味や意義を深く洞察して書いた文献の一節をご存知でしょうか。それは作家の伊藤正徳氏の『帝国陸軍の最後』全五巻のなかの第四巻の「特攻編」の中の文章です。ぜひ多くの方に知っていただきたいと、少し長いですが一部引用します。
*以下引用
日本が正式に航空戦(沖縄戦における)を開始する以前、偶然にも、沖縄本島に飛来した関東軍飛行隊の一部による「体当たり攻撃」が敢行された一戦を紹介しておこう。それは中尉広森達郎を長とする「武剋飛行隊」の九機であって、南西方面増援の第一陣として、(昭和20年)三月二十六日に沖縄本島に着陸したものであった。(目的地は台湾)
 三月二十三日、嘉手納海岸沖に現れた米国の艦隊は、威力偵察を目的とした第一陣であって、空母、戦艦等三十余隻から成り、艦砲射撃と爆撃とを連施して日本軍の反応を知ろうとつとめていた。航空参謀、中佐神直道は、この機会こそ敵艦隊に航空攻撃をくわえる作戦上の神機であると信じ、九州からの出撃を要請したが、兵力足らずして実現を得ず、ただ、適時、航空攻撃を指揮すべしという紙上命令だけを受けていた。そこへ、期せずして第二航空軍から台湾へ増派される武剋飛行隊の第一陣が途中着陸したのであった。
 神中佐は、その広森部隊だけでも投入して、眼前を遊弋中の敵艦隊に一撃をくわえ、彼の計画を第一日において攪乱したい衝動に駆られ、その夕、北飛行場に急行して、広森以下の九勇士と会合し特攻敢行の要請を述べて、彼らの意中をただした。精気横溢するも沈着の度を失わない青年将校広森達郎は、「やってみましょう」と簡単率直に答えた後、八名の部下を集めて静かに言い渡した言葉は次の通りであった。
「いよいよ明朝は特攻だ。みないつものように俺について来い。そこでつぎのことだけは約束しておこう。今度生まれ変わったら、それがたとえ蛆虫であろうとしても、国を愛する忠誠心だけは失わぬようにしよう」
一同は、「ハーイ」と声高らかに答えるのであった。なんという尊い一言であったろう。十時間の後には死んでゆく若人たちが、死んだ後も愛国の誠心を持ちつづけようとするその純正無垢の精神には、強気の神参謀も胸を突き刺されて、思わず涙を流してしましった。とその作戦日誌に認めている。筆者もまた、この一言は、日本の歴史のために書き残し、そうして本論の他の部分が消え去っても、この一言だけは残しておきたいと祈りつつこの戦記を書いている。
国を愛する国民の心があって、国ははじめて独立もし、栄えても行く。それを失った国は表面の盛況はどうであろうとも、その瞬間から頽廃の歩を辿るのだ。その愛国心の要は、戦争と平時とを通じてなんら変わるところはない。広森が平和な今日に生きていたなら、おそらく愛国の若い詩人になっていたであろう。前記の短い一言は、それほど感銘的な印象を永くわれわれの心に刻むのである。
 広森たちは爆装も知らず、また、艦船攻撃の要領は何も教えられていなかった。特攻の議が決まると、一同は、「参謀殿、やり方を教えて下さい」と、言いながら、神中佐の膝もとに集まった。そこで神は(中略)〔やり方を〕詳細に説明し、夜半、後ろ髪を引かれながら北飛行場を辞した。翌二十七日黎明、牛島中将以下軍司令部の要員全部は、首里山上に集合して、武剋飛行隊の特攻を五千メートルの眼前に観望した。指示された発信時刻と寸秒の狂いもなく、三機編隊の三郡は、まず、首里山の真上に飛び、翼を振って別れを告げた後、西方海上に直角旋回して敵艦船群に突っ込んで行った。(後略)
*出典は光人社平成10年刊行より
今不況といわれる中でも、多くの人々は衣食住には不自由はありません。戦渦にも晒されてもいません。しかし、国の独立を維持するに不可欠の防衛費は年々削減、それに比例するかのように尖閣、竹島、北方領土等領土や国の安全は危殆に瀕しつつあります。また、政治家は国のためと言いながら保身的行動が目立ち、青少年のいびつな犯罪は(大人の一部も)の続発、先進国で突出して自殺者は13年連続3万人超え等々、今の日本は盛況そうに見えて確実に頽廃の歩を辿ってるようにしか見えません。著者は今の日本を見透かしたように広森中尉らの遺志、精神に学べ!愛国心を失うな!それが国の根本であるとの警鐘と日本人の覚醒を促しているのです。
他にも、こうした魂を揺さぶるような至玉の言葉も散見できます。政治や教育など制度改革の運動も大切ではありますが、私たち一般の人々でも日々の生活のなかで、日本人としての誇りが甦り明るく元気が溢れでるような、特攻隊他の英霊の手記や遺書などを取り上げた良書を読み、国を愛する心を育む先人たちの言葉を、家族や友人など身近な人たちへ伝えて行くことは出来ると思います。そこから自分たちの住む町や地域から日本の再生復興への歩みは始まるのだと思います。直情的で纏まりのない文章で失礼しました。拝
- 愛媛松山 S
特攻隊他の英霊の手記や遺書をマスコミなどで大々的に取り上げないのは、世論において、やはりアメリカを刺激して、敵対関係になってはまずいという危機感が国家に働いているからだと思われます。
また、アメリカの軍事的・経済的・文化的圧力そのものが一般人の知らないところで働いているからだと推測します。
敗戦国である日本がアメリカに敵意を抱くのは当然の感情の流れだと思われます。
だからこそ、そうさせないために、アメリカはあらゆる手段を駆使し、日本が戦後の自虐的な歴史観を受け入れさせました。
日本のアメリカに対するテロや暴動が起こらないから、アメリカはきっと日本を支配できていると思い込んでいると思います。
また、日本の現状に大変満足していると思います。
勝っていると思っているはずです。
もし、、日本の世論が愛国心を高め、自国に誇りを持ち、真の独立を勝ち取りたいと願うようになれば、曖昧なまま世論がまとまらないから保てていた外国との力関係が必ず問題視されます。
すると、アメリカが困るのです。
いやアメリカは大して困らないかもしれません。
日本は外国との緊張関係を避ける道を選び、戦後の経済成長を果たし、福沢諭吉が待ち望んだ先進国の地位を築き、一応国家としての目的を達成しているのです。
今のところ、安全で居心地がいいのではないでしょうか?
日本は表面上は戦力を保持しない真に民主的で進歩的な憲法を持っていることを誇っているように見せかけています。
でも、実は常に緊張関係を強いられる独立国であるよりも、徴兵制がなく、自殺しないかぎりは長寿が保証された国の在り方に安住しているのが多数派の意見ではないでしょうか?
確かにアメリカに戦争で勝ったベトナムは国としてかっこいいと思いますが・・・
雑感を述べました。
論点が外れていたら申し訳ありません。
特攻隊の英霊の精神は、社会に対して問題意識を持っている、いわば、敏感で目覚めている人であれば、平和な現在であっても心の中に常にあると思います。
教えられなくても自然に備わるものだと考えますがどうでしょうか? - 夏みかん
馬場洋 名言数 3

旧陸軍特攻隊 大尉 昭和20年4月9日沖縄方面に特攻戦死。

私の祖父の弟です - 馬場史恵
私の祖父の弟でもあります。 - 米倉滋門
今の時代ですから色々意見はあるでしょうが、
誰が何を言おうと私は生涯祖父の弟を誇りに思います。 - 米倉滋門い