わたしはまぁ、生来あんまりおしゃべりせん方でございます。
時期時期やナシにね、ずっと、生涯を通じてですね、あんまり、おしゃべりせん方ですね。
だからもう終局はホントにねいつも言うように、だまーって座ってんとねぇ、みなさんもね、嬉しいなー、っていうようなねぇ。
なってくれはったら一番ありがたいなと思ってますもんね。
いや難しいことですけどね。

師匠はよーう、おしゃべりになりますなぁ。

古典落語を現代的価値観・感性で表現しなおす野心的努力を高く評価され、又「己を語る」独自の型を発明し、天才と称される一方その荒唐無稽、破天荒ぶりから
「異端児」
という評価も受けた、
故・立川談志。
枝雀も又、襲名後あまりに変貌した軽く見れば破天荒な芸風から、「異端」の評価も受けた稀有の落語家であり、談志は枝雀の芸を「好きになれない」と低い評価をした一方、「緊張の緩和理論」を支持する、また遅れてであったが「SR」に「落語界の研究議題になる」とその演目の中に息づく「訳のわかるようなわからないような」理屈「のみ」に興味を示し、その理論的な芸風からどこか親交もあった。
(枝雀本人は談志を毛嫌いしていたようだが)
上記の名言は、談志との対談で枝雀の言った皮肉である。
対談が始まっても、両名とも何もしゃべり出さない。
仕方なくその沈黙から、前文部分の自分の芸の理想を「語る」とそう言った。
因みに談志は、
「圓楽ほどじゃないけどね….」と返して「黙っていての凄さ」から逆の自分の理想を語った。
枝雀「師匠は正直な人ですねぇ。言うたはることに嘘がありません」
上同人「正直に、あんまり沢山ものを言えるというのは凄い事でっせ」
談志「嘘と言わないでね、それやっぱり、建前も大事でね、本音と建前のバランスが取れてんのが一番大事でね俺みたいに本音をあんまり喋んのは人にも勧めないけどね、落語っていうのは本音を語る稼業だと思ってます」
上同人続けて「貴方の場合はどっちかというと人を愉快にさせる、俺はそうじゃない、不愉快にする。問題提起するんだから不愉快でしょ。観客をいい気持ちにするんじゃない。同じレベルにおいてね、『どーだ観客俺のぶつけたテーマを、どう受け取ってくれるんだ』っていうのが、だから落語って錯視をやってんじゃないの、自分の人生を落語と同じように暮らしている、ね。」
などの名言をここでだが残しておく。
人を愉快にさせるという「王道」のような「悪魔」のようなもののため型にはまらないスタイルで「爆笑王」の名をほしいままにした
桂枝雀・99年没。
又、古今亭志ん朝・01年没、
三遊亭圓楽・09年没、
そして2011年11月21日、
立川談志。
「(志ん朝は)さっさと死にやがって、俺は死にたくても死ねないのに…。志ん朝と言い、枝雀と言い、俺がライバルと思ったやつはみんな先に死んでしまう。死なれちゃあ、勝てないじゃないか」
と枝雀の自死を悼む、
自殺願望さえあった談志は死後なお、ファンを生む存在となり、落語界の大墓銘に刻まれる。
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桂枝雀 名言数 11

1939年8月13日 - 1999年4月19日
桂 枝雀(かつら しじゃく)は上方落語の名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。 なお、以下の各代以外にも、昭和10年代の寄席ビラに枝雀の名が確認できる。色物だったとされているが詳細は不明。 本項を参照。 3代目桂米朝門下。前名は10代目桂小米。本名: 前田達。59歳没。...-ウィキペディア

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